大阪家庭裁判所 昭和44年(少)3754号 決定 1969年7月31日
少年 F・K(昭二四・八・二生)
主文
この事件について少年を保護処分に付さない。
理由
一、本件は、当裁判所裁判官谷村経頼が昭和四三年三月一二日検察官送致の決定をした当庁昭和四二年少第九、五一三号強制わいせつ致傷保護事件および昭和四三年三月二五日検察官送致の決定をした当庁昭和四三年少第一、七三一号脅迫保護事件の再送致事件である。
再送致の理由は検察官荒木紀男作成の昭和四四年六月一七日付送致書(乙)理由欄に記載してあるとおりであるが、その理由は、要するに、強制わいせつ致傷事件については被害者である告訴人が告訴を取り消したこと、脅迫事件については少年の実兄が同事件と関連する傷害事件で大阪簡易裁判所に起訴されていること、であつて、これは少年法第四五条第五号但書所定の「送致後の情況により訴追を相当でないと思料するとき」に該当すると判断されるので、本件再送致は適法であると考える。
そこで、さらに進んで、以下において、少年に対する強制わいせつ致傷および脅迫の各保護事件について、その非行(犯罪)事実の存否および要保護性の有無を検討することとする。
二、強制わいせつ致傷保護事件について
1、この事件の送致事実は次のとおりである。
少年は、昭和四二年一〇月○日午後一一時五五分ごろ、大阪市東住吉区○○町○丁目○○番地○○鋼業株式会社前路上において、風呂帰りの○盛○美(当時三一年)に対し「姉ちやん一度だけでええからキッスさして」と申し向け、やにわに同女に抱きつきその自由を奪い、同女の右ほほに接吻し、強いてわいせつの行為をなし、さらに接吻を続けようとして同女を路上に転倒させ、よつて同女に対し治療約五日間を要する腰部打撲症および顔面擦過傷等の傷害を与えたものである。
この事実に対し、少年は、自分は犯行のあつたとされている時刻ごろ自宅の二階六畳の間で就寝していたもので、自分は本件とは全く無関係である、と主張し、上記事実を全面的に否認し、その事実を争つている。そこで、まず、少年にかかる上記送致事実の存否につき検討を加える。
2、被害者○盛○美の司法警察員(昭和四二年一〇月七日付、同月二四日付二通、そのうち一通は告訴調書、他は供述調書)および検察官(昭和四三年九月一九日付)に対する各供述調書(以下、単に「○盛○美の各供述調書」という。)、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分、医師藪本秀雄作成の昭和四二年一〇月七日付診断書を総合すると、前記送致事実に副う記載があり、さらに、次のことを指摘することができる。
(1) 犯行現場とされている大阪市東住吉区○○町○丁目○○番地○○鋼業株式会社正門前路上には、一〇〇ワットの門灯一個(門灯二個あるうち一個は故障していた)および二〇ワットの防犯灯(螢光灯)一個が点灯されていて、その照明度は新聞紙が読める程度のものである(以上、司法警察員作成の昭和四二年一〇月二四日付実況見分調書による。)とされているから、その点では犯人を認識するにあたつて比較的その誤認が少ないといえること。
(2) ○盛○美は、事件発生直後田辺警察署○○町○派出所の巡査仮谷忠昭に対し、犯人は白と水色のたて縞のパジャマを着ていた旨を述べており(以上、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分、○盛○美の各供述調書、仮谷忠昭の司法警察員および検察官に対する各供述調書、○田○造の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の昭和四二年一一月一三日付「否認強制わいせつ致傷被疑事件捜査報告書」と題する書面による。)、これが事件当夜少年が着用していた服装と一致すること。
(3) 事件発生直後、○盛○美は、○井○治(○盛○美が勤務しかつ居住している喫茶店「○ル○ヤ」の主人)、巡査仮谷忠昭および○高○月とともに少年宅に赴き、そこで少年と面接し、犯人と同一人であることを確認していること(以上、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分、○盛○美の各供述調書、仮谷忠昭の司法警察員および検察官に対する各供述調書、○野○月の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の昭和四二年一一月一三日付「否認強制わいせつ致傷被疑事件捜査報告書」と題する書面による。)。
(4) 本件全資料によるも、本件について、○盛○美が少年を犯人として捏造しなければならない特段の事情が判明(存在)しないこと。
以上のことから考えると、少年が犯人ではないかと一応疑いをもたれるところである。
3、なお、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分および同人の司法警察員に対する昭和四二年一〇月二四日付供述調書(枚数九枚のもの)、○野○月の司法警察員に対する供述調書によると、○盛○美らが事件発生直後少年宅に赴いた際、少年の母F・M子が「今、息子に聞いてみると、女の悲鳴は聞いたが、そんなところに行つたことはないと言つている。」旨を述べたとされている。しかし、当審判廷における少年およびF・M子の各供述を総合するとF・M子が二階にあがつて話し合つた相手方は、少年ではなく少年の兄F・R(当時二〇年)であつたことが認められるので、上記「息子」とはF・Rのことであり少年ではないから、F・M子の上記「」内の供述内容から推測することのできる不利益な事実を少年に負担させることはできない。
4、ところで、当審判廷における少年、F・H、F・M子および○下○子の各供述、昭和四三年一月一六日付審判調書中の少年の供述部分、少年の司法警察員に対しおよび検察官に対する各供述調書、F・Hの検察官に対する供述調書を総合すると、少年の事件当夜の行動などについて、次のような事実が一応認められる。
少年の家族は、父F・H、母F・M子、姉○下(婚姻前の姓はF)○子、兄F・Rの少年を含めて五人である。この家族全員が居住する家屋の構造(間取り)は、昭和四四年七月二一日付審判調書に添付されている略図のとおりであり、二階の六畳の間にいる者が表道路に出るためには、二階四畳半の間を経由したのち、二階から一階に通じる階段を降りて、一階二畳の間を通つて(または通らずに)土間に出なければならず、一階二畳の間にいる者が外出者を容易に確認することができる構造となつている。事件のあつた昭和四二年一〇月六日、当時○○高等学校に通学していた少年は、学芸祭の準備などで帰宅が遅れ、午後八時一〇分ごろ帰宅し、食事をしたのち、近くにある○○湯(風呂屋)にでかけ、午後九時四〇分ごろ帰宅した。少年は、帰宅後は午後一一時一〇分ごろまで、一階四畳半の間で家族らと一緒にテレビ、(番組名、「ガードマン」「夫婦善哉」「ニュース」)をみたりなどしたのち、姉○子と一緒に二階にあがつて、二階六畳の間でレコードをかけ、FMを聞き、午後一一時四〇分ごろ就寝した。少年の就寝当時姉○子は二階四畳半の間にいた。この間、少年は○○湯にでかけたほかは一度も外出していない。父F・Hは、午後一〇時三〇分ごろから翌△日午前〇時三〇分ごろまで、一階二畳の間で帳簿の整理をしていて、少年が外出したことを確認していない。母F・M子は、△日午前〇時過ぎごろ一階四畳半の間で就寝したが、その間少年が外出したことをみていない。兄F・Rは、午後一一時過ぎごろ一人で風呂屋にでかけ、午後一一時三〇分ごろ帰宅し、一階土間の下駄箱の前で靴をみがいていた。その後兄F・Rが二階六畳の間で就寝するまでの間の行動は明らかでない。
以上の事実からすると、少年は事件当夜○○湯から帰宅した午後九時四〇分ごろ以後は一度も外出したことがなく、したがつて、少年が犯行の時刻に犯行現場にいなかつたことが一応認められる。
5、さらに、送致事実の存否につき消極的に解すべき事情として、次のことを指摘することができる。
(1) 昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美および○盛○美の各供述調書によると、○盛○美が犯行を受ける直前○○アパートに通じる路地の出入口にある開き戸のなかにのがれたとき、そこで○盛○美は犯人とその開き戸を引張り合つたとされている。そうであるとすれば、その開き戸に○盛○美および犯人の指紋が残つていたはずであり、その指紋の痕跡が犯人確定のひとつの重要かつ客観的な証拠となるところ、このことについては全く捜査がなされなかつたこと。
(2) そして、この開き戸における引張り合い、犯人との言い争いのほか、○盛○美の各供述調書によると、○盛○美は持つていた洗面器を倒れる際落し大きな音がしたとされている。そうであるとすれば、これらの人の声、物の音などを近隣の居住者が聞いていることが考えられるが、この点についても、その聞き込み捜査をした形跡がないこと。
(3) かえつて、○匂○子(波○野病院の看護婦で事件当時同病院に居住していたもの)の検察官に対する供述調書および司法警察員作成の昭和四二年一〇月二四日付実況見分調書によれば、波○野病院は犯行現場から東へ約二〇メートル離れたところにあつて、○○アパートに通じる路地の出入口にある開き戸は同病院のすぐ西隣りにあるところ、事件当時○匂○子は○○アパート出入口の路地に面した同病院の台所で午前〇時過ぎごろまでよくテレビをみていたとのことであり、そして、○○アパート出入口の路地を通る人の足音、人の話し声を聞くことができるとされている。その○匂○子が、本件発生日時刻ごろ女の悲鳴や人の争つている物音などには全く気付かず、したがつてそのころ何もかわつたことはなかつたと思う、と供述していること。
(4) 司法警察員作成の昭和四二年一〇月二四日付実況見分調書によると、○○アパートに通じる路地の出入口にある開き戸から犯行現場までの距離は約二〇メートルであり、犯行現場から○盛○美が居住している喫茶店「○ル○ヤ」までの距離は約二八メートルであるとされている。○盛○美が喫茶店「○ル○ヤ」に逃げ込まず、その約四八メートル手前の○○アパートに通じる路地の出入口にある開き戸のなかに逃げたことについて、○盛○美は「アパートの住人のようにみせかければ犯人はつけてくることをやめるだろうと考えた。」と説明する(昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分および○盛○美の各供述調書)が、当夜喫茶店「○ル○ヤ」には店の主人である○井○治がいたのであつて、○盛○美とすれば、その○○アパートに逃げ込むよりは約四八メートル走つて喫茶店「○ル○ヤ」に逃げ込むほうがより安全であつたと考えられ、さらに、同喫茶店から西へ数拾メートル(昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分によれば目と鼻の先程度のもの)のところに田辺警察署○○町○派出所があることをあわせ考えると、○盛○美が○○アパートに逃げ込んだことについての上記説明には合理的理由が乏しいこと。
(5) 前記4、記載のとおり、少年の兄F・Rは午後一一時三〇分ごろ風呂屋から帰宅したのち一階土間の下駄箱の前で靴をみがいていたことが推認されるところ、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分および○盛○美の各供述調書によると、○盛○美は、風呂屋からの帰途少年宅の前を通りかかつた際、少年宅一階の土間で若い男の人が後向きにしやがんで何かをしているのをみており、その男が飛び出してきて追尾され、その男から犯行を受けたとされているのである。そうであるとすれば、その若い男は、少年ではなく、少年の兄F・Rであるということになるので、兄F・Rのその当時の行動が明らかにされる必要があるところ、その点については必ずしも明らかにはなつていないこと。
(6) ところで、○盛○美が少年と事件以前に会つたことがあるのは昭和四二年八月下旬ごろの一週間のうち喫茶店「○ル○ヤ」で数回(約三または四回程度)あつたにすぎない(以上、昭和四三年一月二二日付審判調書中の証人○盛○美の供述部分、○盛○美の各供述調書、当審判廷における少年の供述、昭和四三年一月一六日付審判調書中の少年の供述部分、少年の司法警察員および検察官に対する各供述調書を総合して認める。)こと、○盛○美が犯人の顔をみたのは犯行を受けているときのことでかつ瞬間的であり、そのとき○盛○美は恐怖と狼狽による不安定な精神状態にあつたこと、さらに、上記5、(5)記載の事情(なお、当審判廷における少年の供述によると、少年と兄F・Rとは兄F・Rのほうが少年と比較してやや太つているとはいえ、顔つきや背たけなどはよく似ているとのことである。)を加えて考えると、○盛○美が犯人を認識するにあたつて見まちがい(誤認)が存在する可能性があると判断される。したがつて、○盛○美の少年が犯人であるとの供述についての信憑性に疑問がもたれること。
(7) 本件全資料によるも、少年が犯人であることを認めるに足りる物的証拠は全くないこと。
6、以上の各諸事情を比較して勘案すると、少年が犯人ではないかと疑いをもたれるのは結局被害者○盛○美の供述のみであり、○盛○美が少年を犯人として捏造しなければならない特段の事情が判明しない現段階では、○盛○美の供述を全く信憑性のないものとしてその採用を拒否することには若干ためらいを感ずるところであるけれども、○盛○美の少年が犯人であるとの供述を裏付けるものと考えられる前記2、(2)記載の少年が白と水色のたて縞のパジャマを着用していたことについても、このようなパジャマを着用する男子は多く、当審判廷における少年およびF・M子の各供述によると、少年の父や兄も色の濃淡、縞の太細の差はあつても同種のパジャマを着用していたとのことであるから、それは必ずしも確実な裏付けとはならないと考えられ、そのうえ、○盛○美が犯人の顔を認識(知覚)したのは犯行を受けているときでかつ時間的にも瞬間的であり、そのときの○盛○美の恐怖と狼狽による不安定な精神状態が知覚作用に及ぼす影響、すなわち、このような精神状態にある場合には照明度が相当あつたとしても正確な認識判断が行なわれ難いことなどを考えると、○盛○美の少年が犯人であるとの供述につきその信憑性に疑問をもたざるをえないのであつて、かえつて、少年にはアリバイ(犯行現場不在証明)が一応疎明されていて、少年が犯人であることを認めるに足りる物的証拠が全くなく、犯人確定のための重要な資料を収集しなかつた捜査上の手落ちがあり、少年の兄F・Rの事件当夜の行動につき必ずしも明らかとなつていないところがあることなどを考えあわせると、本件送致事実について、合理的な疑いをさしはさまない程度に証明がなされたとはいまだ判断することはできない。
したがつて、本件強制わいせつ致傷保護事件については、証拠不十分で犯罪の証明がないものといわざるをえず、少年につき少年法第三条第一項第一号所定の「罪を犯した少年」と認定することができないので、本件につき少年を保護処分に付することができない。
三、脅迫保護事件について
1、当審判廷における少年の供述および少年の検察官に対する昭和四四年四月二八日付供述調書、○盛○美の司法巡査(昭和四三年一月二二日付、謄本)、司法警察員(昭和四三年一月二六日付、謄本)および検察官(昭和四三年九月一九日付)に対する各供述調書、○○木○美(目撃者)の司法警察員(昭和四三年一月二二日付、謄本)および検察官(昭和四四年五月一六日付)に対する各供述調書を総合すると、次の事実が認められる。
(罪となる事実)
少年は、昭和四三年一月○○日午前一一時五五分ごろ、大阪市東区大手前之町無番地大阪家庭裁判所玄関前において、その直前まで同裁判所の自己にかかる強制わいせつ致傷保護事件の審判において証人として証言した○盛○美(当時三一年)に対し、「他人の二号になるようなお前は何を言つているかわかるか、新聞にでも何でも出す力があるから新聞にでも出してやる、このままで済むと思つたら大間違いだ、このままで済むと思うな。」などと申し向け、もつて同人の名誉に害を加えるかのような言動を示して脅迫した。(この事実は刑法第二二二条第一項に該当する。)
2、ところで、この事件につき少年に対する処遇(要保護性の有無)を検討するに、次のことを指摘することができる。
(1) 本件脅迫保護事件は、その前後の状況から鑑みて、機会的かつ偶発的に発生したもので、事案としてもそれほど重大であるとはいえないこと。
(2) 少年は、本件以外には前件がなく、これまで問題行動として指摘することができるような行状もなく、本件以後も真面目に生活していること。
(3) 家庭は両親(保護者)が健在し、その監護能力も十分であると認められること。
(4) 少年は、画家志望で現在○○○美術研究所に通所していて、まもなく成人に達する時期にあること。
(5) 少年には再非行のおそれがないこと。
(6) 本件脅迫事件直前に発生した傷害事件(F・Rが昭和四三年一月○○日午前一一時五五分ごろ大阪市東区大手前之町無番地大阪家庭裁判所玄関前で○盛○美に対し暴行を加え約五日間の加療を要する傷害を与えた)につき、少年の兄であるF・Rが被告人として、大阪簡易裁判所に公訴が提起されていること。
(7) 当審判において少年に対し訓戒を施したこと。
以上の諸事情をあわせ考えると、本件について、少年を保護処分に付する必要はないと認めるのが相当である。
四、以上のとおり、強制わいせつ致傷保護事件については非行なし、脅迫保護事件については保護処分に付する必要がない(保護的措置)、という事由で、少年を保護処分に付さないこととする。
そこで、少年法第二三条第二項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 鈴木秀夫)